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「浦木探偵の推理と解決」10話UP

全部で21ページでした。

移動がメインになる、ということは背景を描かなくてはならないので、描いている側としては憂鬱な回になりました。
今回は言わなきゃ分からないトレースの元画像を紹介していきます



新神戸駅
m001.jpg

1ページ目の第一コマです。
わかるひとにはわかるでしょうが、新神戸駅のホームです。
上が元画像、下がそのトレス画像です。


セレナドア開ける
m004.jpg

続いて安藤さんが迎えに来た車は日産のセレナ。
車のトレスって難しいんですよ。
なんせ全部型が違うなんて、言わなきゃ誰も気づきませんしね。





下仁田駅
m002.jpg

山頂に続く駅は下仁田駅を参考にしました。
もちろん新神戸から下仁田駅まで日帰りでいけるわけはありません。
「そんな感じの駅」があればそれを描いとけばいいや、という勝手な解釈です




m003.jpg

あとはこの山小屋なんですが。
これについては、参考画像を探すのにすごい苦労をしました。
ですので元ネタは秘密にさせてください


トレスではなく、本当に参考資料としたのは、
たとえばヨーコさんの着ているモコモコフードはこちら。
ダッフルコート


たとえば、双子の姉がまとっている白無垢のフードなんかはこの画像を。
ローブのつくり


そして、みんな大好き髪の薄い安藤さんの参考資料はこちら。
キダアップ


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オチがついたところで今回はおひらき。
なんかこの漫画「むずかしい」というご意見が多いので、
最近はもっとゆるーい学園物でも描こうかなあと思ってます。
ごきげんよう。
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「うーつーくーしい」

「小説家になろう」というサイトが楽しくて、ぶっ続けで見ている。
「ウロボロス・レコード」「ゼロから始める異世界生活」「この世界がゲームだと俺だけが知っている」「蜘蛛ですが、なにか」
どうやら本になって売っているらしいのだが、ただで読めるのをいいことに、ただただ面白がって消化している。
 どのように消費しているかというと、触ったら痛いくらいに、つまり栗のイガのように、これらの作品は娯楽に突出したつくりをしているので、痛いと分かっているのに触ってしまって「なにこれいたいー!」って手を引っ込めながら、それが快感になって手を出したり引っ込めたりしているうちに、痛覚があいまいになって、最終的に飽きる、という読み方をしている。
そいうのを 「異世界転生ハーレム無双モノ」というらしい。

 小説を読むのは面白い。
 今回の底本は「アイルランド短篇選」より、「ミスター・シング」をお送りします。



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ミスター・シング / ブライアン・フリール
(Mr Sing My Heart's Delight,by Brian Friel)

 毎年、元旦にぼくは汽車、郵便車、最後は徒歩という具合に45マイルを旅して、ドニゴール州にある祖母の家に行った。その家はマラハダフ教区のどんづまり、荒れ狂う大西洋の上にそびえる崖の上にあった。この恒例の滞在は、毎年一月から夜が短くなり始める三月まで、主として祖母のためを思ってのことだった。というのはこの期間、祖父は一年の残りを乗り切る収入を得るためにスコットランドへ出稼ぎに行っていたからである。しかしそれはぼくにも好都合だった。学校に行かなくて済んだし、厳しい両親ややっかいな弟や妹たちから離れていられた。何より祖母の家ではぼくがお山の大将で、何をやっても許された。
 家は祖父母が寝起きする一部屋だけの造りだった。おおきな部屋に小さな窓が一つだけで、ドアは一日じゅう開けっ放しだった。家が東向きで、風はいつも西から吹いていたからである。部屋には、三脚の椅子、テーブル、隅にベッド、箪笥(たんす)、それから生活の中心であるマントルピースのついた平炉があった。ほとんど何もない簡素な部屋の中ではマントルピースが一際(ひときわ)目立った。両端には陶器の犬が鎮座して、真ん中には輝く銀の目覚まし時計、二つの花瓶、中身の水銀がこぼれてしまった、ひびの入った温度計を抱えている真鍮(しんちゅう)の妖精、競馬のカラー写真の入った金色の写真立て、クレープペーパーで覆った三箱のマッチの上にのせられた三つのウニの殻が並んでいた。祖母の家に毎年行くだびに、ぼくはそれらを手渡してもらって、しげしげと眺めて値踏みした。ぼくが気に入っていたので、祖母にとってもそれらの品はますます貴重な宝となった。
 祖母は小柄でふっくらしていた。若い頃は小粋(こいき)で綺麗な娘だったに違いない。彼女はいつも黒い服を着ていた。ブーツにウールの靴下に上着、その見苦しい黒い上着も、洗い過ぎと干し過ぎで灰色になりかけていた。しかし首から上はびっくりするほどの色彩の取り合わせだった。白髪、海のような青い瞳、日焼けした生き生きとして艶(つや)のある顔。嬉しいことがあると、祖母は長い巻毛のおしゃまな子供のように頭を左右に振る癖があった。当時すでに60歳は過ぎていたが、その半分の年齢の女性のように生き生きしていた。ぼくが疲れているときや怠けているときには、牛小屋までかけっこしようとか、引き潮の岩場を遠くまで行ってみろとけしかけた。そんなとき、ぼくは母がよく言っていた言葉をまねて、祖母に「おばあちゃんは本当にそそっかしいアホな婆さんだね」と言ったものである。
 夏の一番恵まれた日でもマラハダフは寒々とした土地だ。辺りは草木も生えない、でこぼこの岩だらけで、茶色のヒースだけが一面を覆い、岩を穿(うが)つ幅30センチにも満たない小川が無数に流れている。小川は思い思いの方向へ勝手に流れているが、巧妙にも互いに交わることはない。祖母の家は一番近い街道から3マイル離れた荒野の、人も通わぬ一番どんづまりにある。辺鄙(へんぴ)なところに家を造ったものだが、祖父という人は陰気で寡黙な男だった。父親のわからない私生児を生んだ17歳の娘と結婚してやることで十分な慈善心を示したつもりだったのだろう。祖母も彼のプロポーズを受けざるを得なかった。あるいは祖母の生き生きとした魅力に嫉妬して、背後には大西洋、前方には3マイルの荒野という土地が彼女のうわついた心を抑えるとでも考えたのかもしれない。動機はどうであれ、それはうまくいって、祖母は世界からすっかり切り離されて、ぼくが13歳になってまもなく祖母が死んだとき、祖母が一生のうちで出かけた最も遠いところは52マイル離れたストラバンの町だった。祖母と結婚する月の前に彼女の私生児、つまりぼくの母との関係で法的手続きをするためにそこまで出かけたのだった。
 ぼくと祖母は大いに楽しんだ。共に笑い、また互いを嗤(わら)った(笑いの種だったのは祖母の英語だった。ゲール語が彼女の母語で英語にはなじんでいなかったので、英語を話すときはそれが邪魔物であるかのように、叫んだり吐き出したりした)。ぼくたちは真夜中近くまでおしゃべりと噂話をして起きていた。ベッドに行かずに、突然バターでニシンを揚げたり、真っ赤な石炭でイカナゴを焼いたり、翌日の食事のための野鴨を食べたりした。またあるときは、炉端に座ってぼくが教科書の読本から物語を読んで聞かせた。祖母は読み書きができなかった。彼女は一言も聞き漏らすまいと耳を傾けた。よく分からない箇所はぼくに再読させたり、時には中断させて細部について質問した。
 「バスに乗ったことはあるの? 人を乗せる本物のバスに。」
 「一度だけあるよ」
 「どんなふうだった? 胃に悪くないかしら。」
 ぼくが読み終えると彼女はぼくに向かって復唱する(「わたし、ちゃんと理解しているかしら」)。特に灯台守の娘の冒険とか、キュリー夫人やナイチンゲールの名場面を好んで復唱した。しかし外界についての知識欲はあっという間に消えて、急に立ち上がると言った。「ちくしょう、忘れるところだった!」祖母がこの罵(ののし)り言葉を使っても少しも嫌な感じはなかった。今にして思えば、祖母は同時代の女性の会話をめったに耳にしたことがなかったからだろう。「崖下の岩場まで走れば、岬の先端にノルウェーの漁船が見えるよ。急いで、急いで! 晴れた晩にはなかなかの見ものよ。」
 マラハダフの突端には、ぼくを楽しませてくれる、世にいうような既成の娯楽はない。でも祖母は自分の苦労は顧みずに、ぼくの滞在を楽しいものにしてくれた。ぼくたちはよく夜明け前に起きて、大西洋の氷のように冷たい上空を雁が渡っていくのを眺めた。またあるときは、サバの群れのいる油を流したような海面を回避してしてからサバに襲いかかるサメたちを一目見ようと、家の下の平らな岩に何時間も座っていた。またある時は浅瀬に膝まで入った。足の裏にカレイが潜り込むとなんともいえないスリルを覚え、目をつぶってから両手を入れてカレイをつかみ出した。これらの小さな探検は、ぼくを楽しませるために祖母が考え出してくれたものであることは今にしてみれば明らかだ。しかし冒険が始まると、ぼくに負けず劣らず祖母も心から楽しんでいたことも確かだ。
 「あら、私の足の下にいるのはカレイじゃなくて子牛だわ。」彼女は青い瞳を喜びで輝かせて不安そうに悲鳴をあげている。「こっちへ来てわたしの腕を押さえて!」
 スパンコールのようにキラキラ光っている大西洋航路の客船を見るために、家の裏手の地面が盛り上がって瘤(こぶ)のようになっているところに立っていると、祖母はぼくに向かって陽気で呑気(のんき)な乗客のリストを読み上げる。「紳士に淑女。英雄のようにハンサムで背筋の伸びた男性たちと、爪先まで明るい絹に包まれた淑女。みんな、笑ったり、踊ったり、お酒を飲んだり、歌ったりしているのよ。あー、みんな幸せな老いた船荷!」
 二月になってから海から強風が吹きつけてくる夕方、行商人が風と闘いながらぼくたちの家にやってきた。台所の窓から眺めていると、風に向かって体をへし曲げている泥炭地の潅木(かんぼく)のように見えた。だんだん近づいてくるとはっきり人の姿になり、しばらくすると身の丈の半分はありそうなダンボールの箱を背負っているのが分かった。ドアの前まで来ると白人ではないことが分かった。当時、アイルランドの辺鄙な土地では行商人は珍しくなかった。彼らは、包みや箱を持って家々をまわって歩いた。中には衣服、靴下、シーツ類、テーブルクロス、安物の派手な装身具などが詰まっていた。客が選んだ品に払う現金がない場合は、行商人は家禽(かきん)や魚を代価として喜んで受け取った。評判では、彼らはなかなか抜け目がなくて信用ならないとも言われていた。
 この行商人はぼくを恐れさせた。母親から行商人には気をつけろと言われていたし、有色の行商人を見たのは初めてだったから。ぼくは祖母を窓まで連れていって、背後から覗いていた。
 「襲われるかな?」ぼくは泣き出しそうな声で聞いた。
 「何言ってんの。わたしは負けないわよ!」
 祖母は勇敢にもそう言って、ドアを開けた。「入りなさい」彼女は強風に向かって怒鳴った。「入って休みなさい。今日、ここまで登ってくるのはあんたみたいなお馬鹿さんだけで、山羊(やぎ)だってこないわよ。」
 男は大きな箱を引っ張りながら後ろ向きに台所に入ってきた。彼は戸口に置いてあった椅子に倒れ込むように座り、頭を壁にもたせかけた。せわしなく息を切らしてあえいでいたために、口をきくことができなかった。それほどまでに疲れていたのだ。
 ぼくは一歩近づいて男をよく観察した。20歳そこそこの若い男だ。滑らかなハシバミ色をした肌は彼の顔にぴったりだ。頭には包帯のように真っ白なターバンが巻かれている。肩幅は狭く、体格は貧弱で、ほころびたズボンは草露で濡れていた。足はぼくの妹のように小さかった。次にぼくは手を見た。ほっそりと繊細で、指先には新鮮な海草のようにつやつやとしたピンクの爪が見えた。左の中指には指輪があった。それは蛇の形をした金(きん)の指輪で、頭と尾の間に暗紫色の宝石がはまっていた。眺めていると、それは瓶の中の煙のようにのったりと動いて七変化した。最初は紫、次にバラ色、と思うと今度は黒、真っ赤、青、それから八月のリンボクの実の色に変わった。この奇跡に見とれていると、行商人は床に膝をついて低音の、祈りをあげるような声で言った。「わたしはうーつーくーしいものを売っています、奥さん。あなたのうーつーくーしい家を飾るものなんでもあります。何を買います? リーネン、シルク、シーツ、壁に掛けるうーつーくーしい絵ですか? 奥さんのうーつーくーしいカーディガンですか? 何を買います?」
 そう言いながら行商人は箱の中身を全部出して見せた。床は黄色、緑、白、青に塗られたようだった。特にどれか一つを勧めるというのではなく、自己満足のように全部を陳列した。それも当然かもしれない。世界のあらゆる財宝を持っているのだから!
 「あなた買う、奥さん? なに買う?」彼は丸暗記したまま、関心も熱意もなく暗唱した。あまりに疲れていて気を遣う力もなかったのだろう。彼は床を見つめたまま両手で自分のまわりに多彩な品物を広げた。男はまるで湖の真ん中の島のようになった。
 しばらく祖母は口をつぐんでいた。彼女は品物に目が眩(くら)んだようになっていただけでなく、男が言うことを一言も聞き漏らすまいと必死に聞き耳を立てていたのである。男の発音は祖母には難しかった。ついに言葉が戻ってきたとき、それは叫び声のように噴出した。
 「おー、まーあ、見てごらん! 見てごらん! 神様、こんな物があるなんて!」それからぼくに向かって「この人はなんて言っているの? なんて言っているのか教えて!」次に行商人に向かって「ミスター、わたしはあまり英語できません。あー、ミスター、すごい宝ですね、ほんとにすごい!」
 彼女は男のそばの床にペタリと座り込んで、祝福するように商品の上に両手を広げた。それから両手を下げて指先で衣服の表面に軽く触れた。彼女は畏れの気持ちに圧倒されて口を開けたまま黙っていた。両目だけが恍惚として光っていた。
 「奥さん、着てみて下さい。試着して下さい。」
 祖母は正しく聞き取れたかどうか自信がなくて、ぼくのほうを見た。
 「おばあちゃんの好きなの着てみて。さあ、早く」ぼくが言った。
 彼女は行商人の顔を、ほんとうにいいのかしら、というふうに探った。
 「わたし、お金ないのよ。」
 彼女の言葉を聞かなかったかのように行商人は品物をあれこれ並べ替えていた。無意識に仕事の流儀を続けていた。
 「試して下さい。ぜんぶ、うーつーくーしい。」
 祖母はそれを選んでよいのか、少しためらった。
 「さあさあ」男はせかすように言った。「急いで!」
 「ぜんぶ、よい奥さんと家庭のための品です」かれは床に向かってつぶやくように言った。「試着して下さい。」
 祖母は餌に舞い降りてむさぼり食べる鳥のように身をかがめた。それを見下ろし、どう似合うかしらという表情でぼくたちのほうを見た。顎の下にそれを押さえて、撫(な)でつけ、空(あ)いたほうの手で顔にかかる髪の毛を本能的に後ろへ払った。それからぼくたちの判決を待ってじっとしていた。
 「うーつーくーしい」行商人は自動的に呟(つぶや)いた。
 「美しい」ぼくが言った。はやく試着して、おしまいにしてほしかった。
 それから祖母は急に立ち上がって、見上げるぼくらのまわりを踊り狂うように飛び跳ねた。「すごい!」祖母は叫んだ。「あなたたちと同じようにわたしも頭がおかしくなったと思うでしょうね。見て! 見て! こんなに綺麗でお城のお姫様みたい!」
 堰(せき)が切れたように祖母は夢中になった。ブラウスを床に投げ出すと、次は黄色のモヘアのストールをつかんで肩に回し、自分の歌に合わせてショーを演じた。それから緑の帽子、白い手袋、青のカーディガン、彩り豊かなエプロンを身につけた。その間、歌ったり、踊ったり、腕を振り回したり、気が狂ったように頭を振り、喜び、当惑し、楽しさに酔いしれて、すっかり我を忘れたかのようだった。
 衣類の半分も試さないうちに、年寄の悲しさ、道化もおしまいになった。彼女はすっかり疲れ切ってベッドの上に体を投げ出すと、ぐったりしてしまった。「さあ、ミスター、品物を片づけてね。わたしはお金がないんだから。」
 「行商人は相変わらず彼女の言うことを聞かず、ものうげに品物を並べ替えていた。改まった口調で彼が言った。「これいかがです、奥様。」彼は真鍮の二脚の燭台に触れた。「うーつーくーしい、安いです。とてもとても安いです。」祖母は手を振って断った。
 「お金ないの、ミスター。」
 「こちらはいかがです。聖なる救い主のうーつーくーしい絵です。あなたにはお安くしておきますよ、奥様。」
 彼女は目を閉じ、手首を振った。元気を奮い起こしているようだった。
 「素晴らしいですよ。」男の手は今度は模造皮の小箱に触れた。中には六本のアポスル・スプーンが入っていた。「これはたくさん売れます。みんな気に入ります。数が足りないくらいです。」男の口調は少し怪しかった。「半値にしておきましょう。」
 「だまりなさい!」彼女は突然、噛みつくように言った。ベッドの上にピンと跳ね起きて、男が発散していた無気力を払いのけた。「おだまり! わたしたち、この土地の者は貧しいのよ! おだまり!」
 行商人はさらに俯(うつむ)いて商品を自分のほうにかき集め始めた。辺りは暗くなっていた。彼は箱の留め金を手探りした。 祖母は怒鳴ったことをすぐに後悔した。彼女はベッドから飛びおりると泥炭の火を起こした。「わたしたちと夕食を食べましょう。おなかが空いているでしょう。今日の食べ物は……」彼女は言葉を中断してぼくに向かって言った。「日曜日のご馳走に取ってあるライチョウをローストしましょう。それがいい。ライチョウにポテトにバターにバターミルクに薄焼きケーキ、ご馳走だわ、ほんと! ご馳走!彼女は次に行商人に向かって聞いた。
 「あなた、いっぱい食べられる?」
 「はい、奥様、なんでも食べます。」
 「それではご馳走しましょう。日曜日なんてどうでもいいわ。」
 祖母は腕まくりをしてテーブルの支度を始めた。行商人は箱を閉じて部屋の隅に行った。そこの闇に男が消えたように見えた。祖母は炊事をしながら話しかけた。
 「ねえ、あなたの名前はなんて言うの?」
 「シンハです。」
 「なんですって?」
 「シンハです。」
 「まあ、変な名前ね。シング、シング」彼女はその名前を舌で味わうように繰り返した。「いい? これからわたしがあなたに名前をつけてあげるわ。『ミスター・シング、わが心の喜び』としましょう。そう、それがいいわ。すてきな長い名前でしょう?『ミスター・シング、わが心の喜び』」
 「はい」男は従順に返事した。
 「さあ、ミスター・シング、わが心の喜び、一時間だけ眠って下さい。一時間経(た)って起きたら目の前にご馳走とフェスティバルがありますよ。さあ、目を閉じて眠りなさい。可哀そうな、やつれた人よ。」
 彼はおとなしく目を閉じ、五分も経たないうちに頭を垂れた。
 祖母がテーブルの端、ぼくが真ん中、行商人が上座に座ってオイルランプの明かりで食事をした。彼は満足な食事は一ヶ月ぶりだったに違いない。ガツガツと呑み込むように食べ、皿がきれいになるまで顔をあげなかった。食べ終わると椅子に座り直し、初めてぼくたちに向かってニッコリ笑った。満足した彼は少年っぽく見えた。
 「有り難うございます、奥様。すーばーらーしいい食事でした。」
 「どう致しまして。わたしたちみんなが食べ物に困りませんように」そう祈りながら祖母はライチョウの骨を指に挟み、頭を一方に傾(かし)げて皿の上に模様を描いた。
 「出身は? ミスター・シング、わが心の喜びさん。」
 祖母の口調はこれから質問ぜめにするわよ、という暗示だった。
 「パンジャーブです。」
 「どこかしら。」
 「インドです、奥様。」
 「インドね。インドって暑い国でしょう?」
 「暑いです。そしてとても貧しい。」
 「とても貧しい?」祖母は静かに繰り返し、心の中で作り上げているインドのイメージに「貧困」と描き加えた。「インドではオレンジとかバナナとかが木になるんでしょう? 虹色のあらゆる種類の果物とか花もね。」
 「はい」行商人は簡単に答えた。心の中で自分の国を思い出していたのだ。「とてもうーつーくーしいです、奥様。」
 「女の人たちは地面まで届く絹の服を着ているのでしょう? 男の人たちはワイン色のビロードの服に金のバックルのついた黒い靴をはいているのでしょう?」
 男は両手を広げてニッコリした。
 「女の人たちはオレンジの木の下を日を浴びながら散歩してる。お日様は女の人の髪から光を受け、粋(いき)な男の人たちは羽飾りのついた帽子を取って女の人に道を譲る……太陽を浴びて……パンジャーブでは……エデンの園では……」
 祖母は別の国にいる。ぼくたちは隙間風の入る石を敷いた台所で、下の太平洋を荒波にし、藁葺(わらぶ)き屋根のもろい箇所を吹き飛ばそうとしている風の音に聞き入っている。行商人は目を閉じてうなずいた。
 「エデンの園では気紛れに流れる小川とか草も生えない岩地はない。パンジャーブではお日様が燦々(さんさん)と射して、歌と楽器と子供たちと……そうだわ、子供たち……」
 そのとき驟雨(しゅうう)の最初の雨滴が煙突から入って、火の上でしゅーと音を立てた。
 「あら、たいへん!」祖母は立ち上がった。「あんたたちはなんて間抜けなの! さあ、立って! 台所を片付けなくては。」
 行商人ははっとして目を覚まし、箱を取りに行った。
 「どこへ行くの? あなた、こんな晩はアナグマだって出歩かないわよ。」
 彼は部屋の真ん中で足を止めた。
 「何してるの? わたしに叩かれるとでも思うの? 今夜はここに寝るのよ。暖炉の前で、猫のように」祖母はそう言ってから笑った。
 行商人も笑った。
 「さあ、ミスター・シング、わたしとこの子が片づけるまでどいていてね。」
 食器を片づけ、翌朝の泥炭を火の前に並べ終えると、もう寝る時間だった。祖母とぼくは隅のベッドで一緒に寝た。大きな鉄のベッドは側面が暖炉の熱でいつも暖かだった。祖母が壁際に、ぼくが反対側に寝た。ぼくと祖母は部屋の暗い隅に行って服を脱いだ。それから行商人にきまりわるい思いをさせる前に、急いで二人でベッドに飛び込んだ。
 祖母はぼく越しに彼を見た。「ランプを吹き消してね。床に横になるといいわ。マットが欲しかったらドアのところにあるわよ。」
 「おやすみなさい、奥様。」
 「おやすみ、ミスター・シング、わが心の喜び。」
 彼はマットを持ってきて、赤と白の斑(まだら)の残り火の前に体を横たえた。外では雨が激しく屋根を打っていた。家の中ではペットの雌鳥のようにぼくたちはぬくぬくと眠った。
 素晴らしい朝が来た。さわやかな風が雲を追い、家から街道へ通じる道は乾いていた。行商人は元気になって、颯爽(さっそう)と小脇に箱を吊した。彼は、祖母が品物の売れそうな村への道順を教えている間、戸口に立ってうなづきながらにこやかに笑っていた。
 「さあ、前途の無事を祈るわ」最後に祖母が言った。
 「奥様、払うお金がありません。こんな安物を差し上げるわけには……」 「さあ、行きなさい。お昼前には雨が降るでしょう。それまでには8マイルは行けるでしょう。」
 彼はまだもじもじしていた。内気な少女のように微笑したり、頭を下げたり、箱を振ったりしていた。
 「何してるの! 早く行かないとお昼御飯を出さなくてはいけなくなるでしょう。あなたはそれを昨晩食べちゃったのよ。」
 行商人は箱を地面に置いて、左手を見た。それから長い繊細な指で指輪を抜いて祖母に差し出した。「あなたに差し上げます」彼は改まった声で言った。「お礼に……受け取って下さい。」
 手の中で宝石が虹色に輝いた。祖母は困ったような顔をした。永いこと人からプレゼントを貰ったことがなかったので、どう受け取っていいのか分からなかったのだろう。彼女は首を傾げてぶっきらぼうに「だめ、だめ」と呟き、後ろに下がった。
 「そんなこと言わずに受け取って下さい、奥様。」彼は強引に言った。「パンジャーブの紳士からドニゴールの淑女への贈物です。」
 彼女が後ろに下がったままなので、彼は進み出て祖母の手を取った。左手の中指を選び、指輪をはめた。「有り難うございました、奥様。」
 それから彼は箱を持ち上げると、お辞儀をして荒野と街道のほうに向かった。追い風が彼をどんどん進ませた。
 道の曲がり角の小丘の背後に彼の姿が見えなくなるまで、ぼくたちは身動きもせずに見送った。ぼくは家の脇に回り込んだ。雌鳥を外に出して、牛のミルクを絞る時刻だった。しかし祖母は動かなかった。行商人が指輪をはめたときの姿勢のまま道のほうを見ていた。
 「さあ、おばあちゃん、ぼくたちが死んじゃったと牛が思うよ。」ぼくはいらだっていた。
 祖母は変な目でぼくを見て、それから泥炭地や道、そのさらに向こうの周囲をとりかこむ山並みを見上げた。
 「さあ、おばあちゃん、急いで、急いで。」ぼくは祖母の仕事着を引いた。
 彼女は引っ張られるままについてきた。牛小屋のほうに連れていく途中、彼女は独り言のように呟いていた。
 「クロリー橋に着かないうちに雨に降られるかしらね。ワイン色のズボンとバックル付きの靴が台無しでしょう。どうか雨が降りませんように、神様どうか……」

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しょっぱい革命

まあ話のネタに。

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今回の床本はこちら。
「ヘブンズ・コマンド」ジャン・モリス/椋田直子訳(講談社)



 世界の3/4を治めた華やかしきころの大英帝国について書かれた、2008年刊行の本です。
皮肉好きなイギリス野郎が書いた歪曲な文章が続くので、
なんというか話半分に聞いたほうがいい良書です。
 19世紀のカナダはスコットランド人ががんばっていたとか、
でもそんなイギリス領カナダは実質フランスのはみだしものが牛耳っていたとか、
つねに鼻持ちならないイギリス野郎が植民地を見下した感じで綴る、
ほんとうに話半分に聞いたほうがいい良書から話のネタを拾いました。

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 とはいいながら、あまりフェアではないとはいえ、史実に基づいた記述を旨としているので
はやい話が嘘は書いていないわけで、ここはひとつアイルランドの民族決起について
モリス先生の話を聞いてみましょう。

p.227


 アイルランドは、ヘンリー2世がアイリッシュ海を越えてはじめて軍隊を派遣し、肥沃な土地を柵で囲ってアングロノルマンの騎士たちを移住させて以来、700年にわたって英国の領地になっていた。その間、スコットランドやイングランドの出身者が農場を経営して代々住みつき、アングロアイリッシュのプロテスタント信者で構成される支配階層も出現したが、この島は完全に屈服することも、英国化されることもついになく、強烈に異質な場所でありつづけた。



 アイルランドの連中は、どうにも辛抱強く、無駄に禁欲的なカソリックに固執した、迷信深いおろかな人々・・というのが、まっとうな先進国からみたアイルランド像なのです。

p.224


 アイルランドの住民は元来、食べ物をもっぱらじゃが芋に頼り、一人当たり一日に平均6.3kgという驚くべき大量のじゃが芋を摂取していた。…さまざまな形で調理したじゃが芋が命の糧となり、ビタミンとカロリーを提供してくれるおかげで、アイルランド人はヨーロッパでも屈指の大柄な民族でとおっていた。



 一日イモ6kgはさすがに無理なんじゃあないかと思うかもしれませんが、
宮沢賢治だって雨にも負けず一日に玄米4合を食べていたことを考えれば妥当な量かもしれません。
 ただしアイルランド人はイモを食っては静かに笑っていたりはせず、
ポチーン酒というじゃが芋の密造酒を呑んで、酔っ払っては殴り合いのケンカに明け暮れていたといいます。
なんというか江戸っ子なんですね彼らは。
 メシ食って酒飲んで、なにかあると暴れる、素朴かつストレートアヘッドな国民だといっていいでしょう。

p.228


 最後の大規模な蜂起は1798年だった。フランスから軍隊と資金の援助を得たウルフ・トーン率いる蜂起隊は、ナポレオン戦争に忙殺されていたはずの英国に手ひどく鎮圧された。アイルランドのすべての愛国者の胸に刻まれたこの悲劇からあまり時を置かずして、「統合法」という名の政治的ジェスチュアが行われた。英国議会によって押し付けられたこの立法措置は、新しい関係の第一歩を意図したもので、ふたつの国をひとつにするのが目的だった。それまでのアイルランド議会は、プロテスタントの地主階級で構成され、国内問題のみを扱うものだったが、これが廃止され、今後はプロテスタントの有権者によって選出される代表100名が、ウェストミンスターでアイルランド島のために活動することになった。


wolf_tone.jpg

↑ウルフ・トーン(リンクはWiki直結)


 「統合法」というのは、1800年に成立した、アイルランド議会を解散させる法律です。
 つまりアイルランド島には昔からそれぞれに大地主がいて、それぞれが時代を経て貴族になり、ダブリンに集まっては政治的な議会を執っていたのですが、ウルフ・トーンがやらかしたばっかりにダブリンの集会場は没収、海を隔てたウェストミンスターで肩身の狭い思いをしなければならなくなった・・・そういう事件です。

 たとえば大阪のミナミ、松屋町の商工会議所で今年度の歩合についてまとめようとしていたところに、大阪府庁から役人が来て議会を撤収、「今後は梅田スカイビルで全部まとめますんで、代表の方10名決めてもらって、明日またきてください」などといわれたようなものです。

 それでだまっていられるのか松屋町。
 じゃなかったアイルランド商工組合。

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 ここで現れたのがダニエル・オコンネルです。

ダニエル オコンネル
↑ダニエル・オコンネル(リンクはWikiへ)

p.233


 民衆から「解放者」と呼ばれたオコンネルの大集会は、つねに整然と進行した。1843年にミース州タラの丘で開かれた集会には、オコンネルの演説を聴こうとする民衆が25万人も集まった。



 オコンネルであるとかウルフ・トーンについては日本語でWikiってGoogleでヤフればあらかたのことは分かるので、ここではサラリと流します。彼らは銅像も立てられて、こんにちの観光名所ともなっているので、いまさらくどくど書く必要もないでしょう。

 しかしながらダニエル・オコンネルはアイルランド人の心の友でもあるので、Wikiを斜め読んでかんたんにまとめると・・・

TMRまとめ


 1828年、オコンネルはイギリス下院議員のクレア県補欠選挙に立候補した。カトリック信者は当選しても議員になれないことはわかっていたが、反カトリック派の候補者を落選させるための、当て馬を目的にした立候補であった。
 それだったら立候補を禁止する決まりがありそうなものなのだがそういうのは無く、オコンネルは対立候補の2倍以上の得票を得て当選する。もちろん政府はオコンネルに議員の資格を与えなかったが、これをきっかけにアイルランド・カトリックから政府への非難が悪化、トゥーリ派ウェリントン内閣は1829年カトリック教徒解放令を議員に提出、可決成立した。
 これにより酒好きで、けんかっぱやいアイルランド人はついに、国会議員の地位、閣僚、裁判官、そして陸海軍の将官になれる可能性を手にしたことになった。
 そして余談であるが、マスター・キートンに同姓同名のキャラクターがいてちょっと戸惑う。




 まとめるのヘタだなあ。

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 それはそれとして、そろそろ表題の「しょっぱい革命」に話を戻します。今回の主役はアイルランドの貴族、ウィリアム・スミス・オブライエンです。いっときますが、彼だってアイルランドに銅像たってますからね。これ読んで「なんでこいつが?」なんて思わないで下さい。ぼくも同じ気持ちなんです

William Smith OBrien
↑ウィリアム・スミス・オブライエン

p.248


 時は1848年。革命がヨーロッパ全土を席巻した年で、アイルランドでも、こうした青年党指導者は、自分たちにとっても革命の時が近づいたと信じていた。そして、祖国がアイルランド史に残るほどの深淵に沈んでいたこのとき、青年アイルランド党の指導層は恐るべき理想主義の波に乗って、武装蜂起に突き進んだのだった。
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 青年アイルランド党は扇動的意図を広く知らしめはしたものの、1848年夏の時点で武器はなく、支持者もほとんどなく、銀行預金は1,000ポンドを切るという有り様だった。
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 7月末、スミス・オブライエンは島内各地を演説して回ったが、ほぼ例外なく無気力な人々に迎えられるばかりだった。エニスコーシでは時期早尚だという声が上がった。ウェックスフォードでは、住民が沖合いに停泊する英国戦艦に恐れをなしていた。キルケニーでは、1万7,000人の支援者に迎えられると期待していたのに、それは資料の誤植で、じつは1,700人しかいないことがわかった。古来マンスターの王の拠点となり、岩だらけの丘陵の頂上に大聖堂や城の廃墟が残るカッシェルは、こここそアイルランド独立の精神が燃えさかる地であるはずだったが、オブライエンが到着してみると、青年アイルランド党員はひとりもいなかった。ティッペラリ北部のマリナホーンに至ってはじめて、失意の革命家は蜂起の可能性に出会うことができた。ここでは住民がカネを鳴らしてオブライエンを歓迎し、数千人の男たちが槍やつるはしや数挺の銃を手に集まっていたのだ。



 1848年というのは、以前マンガで描いたこともあるんですが、アイルランド史上最悪の大飢饉が起こっていた年で、どちらかというと革命とかそれどころではない・・・いや、もはややけくそになって暴れてもしようがない、ひらたく言えば一揆の土壌ができていた年であったと言っていいでしょう。

遊説MAP
↑オブライエン遊説の旅

↓革命の舞台となったバリンガリー(バリンジアリー)村
遊説2

p.250


 彼らの大半は食べ物をあてにして集まったので、作戦行動中は自給自足だと聞かされて帰ってしまったが、オブライエンにとって賽は投げられた。オブライエンは残ったわずかな手勢を率いて北へ向かい、リメリックのバリンガリー村を目指した。この村で7月30日、アイルランドの対英国蜂起の長い歴史のなかでもとりわけ哀れを誘う青年アイルランド党の1848年蜂起が山場を迎えることになる。

 オブライエンが村の外で手勢を整列させてみると、武装している男は総勢40名前後。うち20名が銃、18名が槍を持っていて、ほかに丸腰の男女が80名ほど同行していた。聞くだけで哀しくなるほどアイルランド的な光景である。バリンガリーはリメリックの典型的な村のひとつで、泥壁の家がわずかばかり、丘の穏やかな斜面に沿う十字路を中心にして集まっていた。眼前には緑ではあるが石ころの多い田園が広がり、マーグ川の広い平原に続いている。

........................

 この村の、大小の石で区切られた畑で、寄せ集めの部隊は戦闘の準備をした。戦闘には貴族のオブライエンが騎馬で立つ。長身で沈鬱なオブライエンは秀でた額に高い鼻梁、なにかを思い焦がれる少年のような眼をしていた。隣に並ぶのはリバプール出身の副隊長テレンス・マクナマスで、同じく長身だが、大声で笑い、無造作に肩を揺すって歩くところは、オブライエンより芝居がかかっていて、いかにもアイルランド人らしい。ふたりのあとにつくのは、アイルランドの歴史に照らしてさえみすぼらしい兵だった。棒きれや石ころや銃を握る痩せこけて、まったく無学な男たちで、なにか真に高潔な衝動か、絶望的な怒りに支えられたとしか解釈のしようがない。この80人のアイルランド人が大英帝国を相手に立ち上がろうとしていた

......................................

 彼らが隊列を組んでいるあいだに早くも、警官隊が近づいているという知らせが入った。反乱軍はバリケードを築いて村の守りに備え、銃や槍や石ころを握る手を構える。村民は安全な距離をとって、事態を見守った。道を進行してきた30名ほどの巡査は、行く手のバリケードと、その周辺に集まる寄せ集めの人々を見て戦意を喪失し、列を乱して、手近の家を目がけて駆け出した。家の持ち主はマコーマックという未亡人で、真四角の小奇麗な農家が高台に建っていた。家の前は塀で囲ったキャベツ畑、裏庭には小さな木立があって風よけになっていた。マコーマック夫人はたまたまバリンガリー村へ出かける途中で、家には幼い子どもが5、6人残っているだけだった。それで巡査たちは正式な要請をすることもなく、マスケット銃とヘルメットをつかんだまま家に駆け込み、ドアを閉めると、ベッドのマットレスをバリケード代わりに窓に立てかけ、誰の目からも姿を隠してしまった。

 反乱軍はすかさず嬉々としてあとを追い、息を切らせてでこぼこの急坂を駆け上がった。バリンガリー村はもう見えない。マクナマスが裏庭に回り、乾し草の束を裏口に立てかけて火をつけた。残る全員が地面に伏せて様子を見ているところへ、マコーマック未亡人が姿を現した。村へいく途中で、自分の家が史跡のひとつになりかけているのを知り、当然ながら子どもたちを案じて泣きながら戻ってきたのである。

 その様子が騎士道精神を揺さぶったものか、オブライエンは乾し草を燃やすのをやめさせ、ほかの2、3人とともに大胆にも家の正面に回るとキャベツ畑の木戸を開け、巡査が構える銃口をものともせず玄関に近づいた。警官隊からの反応はない。オブライエンは窓枠によじ登り、後ろからは反乱軍、前からは警官隊が息を呑んで見守るなか、開いたままの窓から積み重ねられたマット越しに手を差し込んで、なかにいた巡査と握手した。そして、もったいぶっていわく、「われわれが望むのは貴公たちの命ではない、武器だけだ」

 しかしそのとき、キャベツ畑の塀に身を寄せた反乱軍の男たちが石を投げはじめた。ただでさえびくびくしていた巡査たちが銃で応戦する。反乱軍のひとりが死に、ひとりが重傷を負って、警官隊が次の弾を装填する暇もなく、はじめて銃火にさらされた反乱軍はマコーマック夫人の農家から姿を消した。近くの小屋や降り坂の物陰に隠れた者もいれば、身ひとつで村に逃げ帰った者もいた。オブライエンも、オブライエン一族に敵に背を向ける者はひとりもいない、と宣言するのもそこそこに騎馬で退却し、革命は30分で終了した。家に帰ったマコーマック夫人は、子どもたちが誰も怪我ひとつしていなかったことに安堵して、部屋の片づけにかかったという。




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ううーん。なんでこいつが銅像になるんだろう。

首をかしげる貴方に朗報です。
革命家ウィリアム・スミス・オブライエンは、その独立精神と指導力をたたえられ、アメリカはアイオワ州の、オブライエン郡の名前として今もなおその栄華を誇っています。

ルターちょっと空気読め

ルターの宗教改革、というのがよくわからないまま大人になってしまった。


(↑ルター、今回の主役)


今回の底本はこれです↓
『イスラームから見た「世界史」』タミム・アンサーリー/小沢千重子訳/紀伊国屋書店
↑アフガニスタン出身で、アメリカに渡りサンフランシスコで世界史の教科書編纂のメンバーをやっているという、経歴だけ見ても面白そうだとわかる人の面白い本。

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ぼくの記憶が酒によってねじまげられていないのなら、日本の高校生は宗教改革について教育を受けているはずなんですが、そしてぼくの認識が酒によってにじんでいないのならば、ぼくの同級生のほとんどはカソリック教徒ではなかったはずなんですが、どういうわけかさして興味のないマルティン・ルターという人物について講義を受けた記憶があります。

末法思想はなやかしき頃、一休宗純があらわれて、なんか面白いことを言っていたのが1400年のはじめごろです。
「世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」
「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」

室町時代後期、つまり戦国時代の準備期間、このころの偉人をとりあげるのならまだ興味がわくわけです。
こどものころにアニメで見たしね。
一休さんしってるしってる、その話きいてみたい。

でもマルティン・ルターって!
しらんがなそんなおっさん!




・・・あっ間違えたこれは宮崎哲弥さんだ。
よく似ているという理由だけで貼ってしまった。


どうして高等教育でキリスト教についてメインで学ばなければならないのかということについては話が長くなるのでここではやらないとして、ルターのおっさんについてはなにやら確執がある、ということは伝わってきました。わざわざ多感な年頃の、青少年の心にわだちを残すほど伝えなくてはならない何かがあったのだろうという記憶を持ったまま、いまだにルターのおっさんにやるせない思いを持って、大人になってしまったわけです。
気になりますね?

わかりました調べましょう

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『イスラームから見た「世界史」』 P.385

・・・だが、十字軍が終息するとともに、ローマ・カソリック教会の支配体制(ヘゲモニー)に亀裂が生じはじめた。教会の権威を疑問視する声が、ここかしこで上がりはじめたのだ。14世紀後半には、オックスフォード大学の神学教授ジョン・ウィクリフ(1330頃-84)が聖書を低俗きわまる言語、すなわち庶民の日常の言語である英語に翻訳しようと提唱して、教会当局を驚愕させた。

当時、支配階級のあいだはフランス語が日常語であり、また公用語としてはラテン語とフランス語が用いられていた

なぜウィクリフは聖書の英訳を志したのだろうか?
それは、一般庶民が自分で聖書を読み、その内容を理解できるようにするためだった。だが、なぜ一般庶民が聖書の内容を理解する必要があるのか、教会当局はとうてい理解できなかった・・・彼らに代わって聖書を理解してくれる司祭がいるではないか。

ウィクリフの提唱のもとに一門の人々が1385年頃にウィクリフ派英訳聖書を完成し、1395年頃に完訳した


一休さんが狂人のまねごとをする半世紀前、ヨーロッパでは聖典を口語訳するというムーブメントがあったようです。


↑John Wycliffe 


ウィクリフはさらに歩を進めた。聖職者はすべからく使徒に倣って清貧を実践すべし、と主張したのだ。そして、教会鈍化の手段として教会や修道院の領地を没収し、世俗政権の国庫に入れよと主張したので、教会当局の忌諱に触れてしまった。ウィクリフは有力な貴族の保護下にあったので、なんとか天寿を全うできた。ところが彼の死から40年以上も経ってから、教皇は彼の墓を暴いて遺骸を焼き、遺骨を粉々に砕いて川に撒き捨てさせた。どうやら、教会当局の怒りは持続していたようだ。



ウィクリフの天寿は54~64歳だったようです。死後40年ですから、墓をあばかれたのが1424年頃、極東で一休宗純がパンキッシュな活動をしていた時代に近づいてきました。


 怒りが持続した理由の一端は、ウィクリフの思想が廃れそうにもないことにあった。たとえば、ウィクリフの次の世代では、ボヘミアの司祭ヤン・フス(1370年-1415)が彼の改革思想に強く共鳴し、あらゆる人間はみずからの言語で聖書を読む権利を有すると主張して、大々的な聖書翻訳プロジェクトを開始した。教会当局が教会法を引用して彼の行為が誤っていることを指摘すると、フスは聖書を引用して応酬し、聖書は教会会議に優越すると宣言した。
 これはやりすぎだった。教会当局はフスを逮捕し、火刑に処した。彼を焼く火には、彼が翻訳を推進してきたチェコ語聖書の写本がくべられた。ようするに、キリスト教は初期の宗教改革者たちに対して、イスラームがかつてスーフィーの先駆けハッラージュ(857,8-922)になしたのと同じ仕打ちを加えたのだ。
 しかしながら、改革者を殺しても、改革への渇望を根絶することはできなかった。ウィクリフやクス、そして彼らと同類の改革者たちは、人々の心に危険なほど鬱積していた何かを刺激したのだ。それは、真の宗教体験を求める人々の報われない思いだった。


だいたいどの時代も、後継者というのは無茶をやらかすようです。
この時代、この土地にあって火刑になるというのは、最後の審判があってもお前の体ねぇからという存在の全否定であり、いわゆるシカトの最終系です。ここはテストに出るからおぼえましょう。
したがってチェコ語の聖書といっしょに燃やすということは、約束どおりにあなたの愛したレコードも一緒に流す感じとはまったく違います。ギターのピックを棺にいれるというのもぜんぜん違います。


↑Jan Hus

そろそろ本気で怒られそうなのでもうやめます。

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オーケーわかった。
坊さんが読んでるその本にはとってもいいことが書いてあるわけだ。聖書っていうくらいだからな。
でもおれたちはバカだから、そこになんて書いてあるのか読めないわけだ。
おれたちの仲間でカネのあるやつは、毎週お堂に行って聖書を読んでもらって、あの世に行ってもいい思いができる算段をつけてもらうわけだ。そしてカネのないやつは、なんというか間に合わせの、またぎきみたいなあいまいなもので、ごまかしごまかし流されるわけだ。そしてよく考えたら、数百年おれたちはそうやってごまかされてきたわけだ。
ほほう。

てめえふざけんじゃねえ。

ここにきてやっと、マルティン・ルターが重い腰をあげたわけです。
以下名文なので、長くなるけど前文引用します。


p.387
 宗教が官僚主義化したことによって、ローマ・カトリック教会は強力になり、ヨーロッパには文化的一体性がもたらされた。だが、官僚主義化した宗教はついに、その存在理由である核心的な宗教体験を与えることができなかった。
 ドイツの神学教師マルティン・ルター(1483-1546)は、カトリック教会が機能不全に陥っていることをきわめて正確に指摘した。罪の意識につきまとわれて懊悩としていたルターは何をしても、自分は地獄に堕ちる定めの罪人であるという意識から逃れられなかった。キリスト教の諸々の儀式を実践すれば、罪が洗い流されて、罪の意識が和らぐはずだった。しかし、こうした儀式もルターには効果がなかった。彼はあらゆることを試みた・・・断食も、おのれを鞭打つことも、聖体拝領も、果てしない懺悔も。けれども、これらすべてを試みたあげく、司祭からあなたは清められたと言われたときに、ルターはその言葉を信じることができなかった。自分がまだ清められていないことを知るためには、おのれの心を探ってみるだけで充分だった。彼はいまだに罪の意識を感じていたので、それがわかったのだ。

 そんなある日、ルターは不意におおいなる洞察を得た。救済されたとみずから信じられるようになるまでは、けっして救済されないだろう、と。もし、救済されたと信じられないのであれば、司祭が何を言おうと何をしようと関係ない。もし、救済されたと信じられたのなら、司祭が何を言おうと何をしようと気にすることはない。かかる洞察は実に大きな問題を提起した。

 司祭の役割は何なのだろうか?
 そもそも司祭がなぜ、信徒共同体の中に存在するのだろうか?

 それどころか、ルターは次のように確信するにいたった。人間は長年の労働に対する報酬として年金を得るように、みずからの行為によって救済を得ることはできない。救済は神から与えられる恵みであり、人間はそれを受け取ることしかできないのだ。しかも、救済は信仰という内的プロセスをつうじてのみ与えられるものであって、宗教的な「務め」という外的行動をつうじて与えられるものではない、と。
 かような洞察に基づく確信をもって周囲を見わたすと、世間は「務め」をつうじて救済を得ようとする人々で満ちあふれていた。なお悪いことに、これらの勤めを実践するよう命じていたのは、巨大で裕福でよく組織された官僚機構、すなわちローマ・カトリック教会だった。この事実を認識するや、ルターは恐怖に戦慄した。なぜなら、彼の洞察が正しいのであれば、これらの「勤め」はすべて無駄な行為であるからだ!

 教会が命じる数多の「務め」の中でも、ルターがとりわけ疑念と反感を募らせていたのは、教皇が贖宥(しょくゆう)を与えるという慣行だった。贖与とはある種の・・・告解の秘蹟後に残った有限の・・・罪に対するつぐないを赦免(しゃめん)することで、教会は充分な対価と引換えに贖宥を与える機能を有すると宣言していた。この慣行の起源は十字軍に求められる。教皇は十字軍を勧奨するに際して、異教徒のトルコ人と戦うべく出征する者に贖宥を与えたのだ。その後、人々が十字軍に参加する機会が減少するにつれて、教会は寄付金と引換えに贖宥を授けるようになった。大規模な官僚組織においては、些細な腐敗行為が必ず組織全体にはびこるものだ。


ところでちょっとした疑問なんですが、エルサレム攻めるのになんで贖宥とかもらうわけ?
贖宥ってもらうとどうなるんスかね、生まれながらにして持った罪とか、そういうのなかったことにしてもらえるの?
罪もったまま聖地行っちゃ、やっぱマズいわけ?
、死んじゃうから罪もったままじゃマズいんだ。
おまえらトルコ人と戦って死んでこいってことか

中世の生死観はぶれませんね!
続きをどうぞ。


 これを考えると、各地の聖職者の一部はおそらく・・・ありていに言えば・・・自分たちの寄付金と引換えに贖宥を与えていたものと思われる。こうした見方を読者がどう受けとめようと、マルティン・ルターの時代にはすでに、贖宥という慣行はとりもなおさず煉獄から脱出して天国に入る近道を金で買えることを意味していたのだ。

 天国に入るためと称して信徒に金を出させるというのは、それだけでも悪しきことだった。だが、ルターには、かかる慣行はもっと悪しき何かを内包しているように思われた。もし、救済が神から個々の人間に直接与えられるものであるなら、教会はそれを開けたり閉めたりする能力を実際にはもっていないにもかかわらず、天国に入る門を通してやると称して賄賂を強要していることになる。これは腐敗どころの騒ぎではない。最悪の部類の盗みであり、詐欺行為ではないか!

 1517年のハロウィーンの夜、ルターはウィッテンブルグ城教会の扉に煽動的な文書を掲示した。この中で、ルターは95ヶ条の「提題」、すなわち教会およびその行為に対する95項目の反対意見を表明した。ルターの抗議文は一夜にしてセンセーションの嵐を巻き起こし、宗教改革の口火を切った。



いわゆるプロテスタントの宗教改革ですが、95個はいくらなんでも多いので、まとめると以下4点となります。

・救済は今この時に/まさにこの場で、直接感じることができる
・救済は信仰のみをつうじて得られる
・個々人が神と結びつくのに仲介者は不要である
・信仰について知るべきことは、すべて聖書から得られる。ラテン語も、教会会議が下した結論も、聖職者や学者の見解も知る必要はない



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朝起きて、門番が城門をあけようとしたら一面に抗議文書が書いてあったというのは、もはや笑うしかない状況ですが、これが史実のようです。
ふーむ。
なんか美談のように書かれているし、教育にもよさそうな流れなんだけど、よく考えたら聖職者はそれはそれで儲けていたわけで、特に実害はなかったわけじゃない。純朴に「務め」ていた信者さんも多数いたわけだし。
まあちょっとは、逆らったやつを見せしめに火刑にしたけど、その程度じゃん。
おいおいルターちゃんよう、あんた仲間だろう? いっしょに甘い汁吸おうよ?
てめえルター、ちょっと空気読め


↑写真はイメージです


さてどうして冒頭に一休さんをもってきたかという話にもどりますが(戻りますが)、極東の地でも宗教改革があったことはあったのです。しかしそれは「改革」というほど、後世に影響を与えるものではありませんでした。だから誰も宗教改革とはよびません。とんちで将軍様をへこました程度です

わざわざ学校でルターの宗教改革について教えているのは、それがヨーロッパで近代科学が興るきっかけとなり、産業革命につながる源泉であるからです。
やっとわかった
筆者はこの、宗教革命→個人主義→近代科学→産業革命という一連の流れを理解しないまま大人になったので、いまだにマルティン・ルターと宮崎哲弥さんの区別がつかないでいたのです。

それでは以下、科学的な世界観の誕生について引用しておひらきです。

p.391
 ・・・おそらく宗教改革者の誰一人として、信仰について型にはまらない考え方をするよう、自分が人々に奨励しているとは思ってもいなかっただろう。それにもかかわらず、彼らが救済を求めるのは個人の領域に属すると主張したことによって──その意図とは無関係に──個々人は神についておのれの欲するように考える権利を有するという見方が正当化された。そして、かかる見方が正当化されたことは、人間はあらゆる事柄についておのれの欲するように考える権利を有するという見方をも暗黙のうちに正当化したのだ。

 自分の思うとおりに救済を求めることができる──そう思うようになった人々は当然のことながら、それぞれ思い思いに神の本質や世界について思索をめぐらせはじめた。

 もし、カトリック教会の影響がいまだに隅々まで浸透し、強力なままであったなら、いかなる問題について思索をめぐらせていようと、同時にもう一つの問題──それは信仰とどのように関連しているのか──も考察しなければならなかっただろう。たとえば「なぜ、万物は上昇するのではなく落下するのだろう?」と誰かが考えはじめたら、その心の内なる教会の声がすぐさまこう問いかけてきただろう。「その謎を解明することは、私がよりよきキリスト教徒になるためにどれほど役に立つのだろうか?」と。こんな重荷を年中ひきずっていたら、人間の精神が自由にさまよえる範囲も、その速度もおのずと大きな制限を受けてしまうに違いない。

【あのネタ】2009年

なんか学園物の漫画でも書こうかなとネタをためてます
一部抜粋、学園祭、体育館の舞台で漫才をやるヒトコマ


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(カチッカチッ
「キミは本当にWeb漫画が好きだねえ
「うん、ぼくWeb漫画大好き!
「キミはいい子だねえ
 ボクは法人化した新都社だよ? 「うわっ!

「キミはコツコツと更新を続けていてえらいねえ
「うん
「でもそんな一銭にもならないことを続けていて
 不安にはならないかい?
「うん
「じゃあキミの漫画を書籍化してあげようね
「ええっ! 書籍化!?

(観客、ちょっと不安そう)

「そうだよ? 最初はてがたく2万部あたりにしておこうね
「すごくないそれ?
「売り上げの8%がキミの印税になるんだよ
「うわっ 相場がわからない でもなんか現実的!

「余った分はキミの買い取りになるから注意するんだよ
「帰れ帰れ!!


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(続き)
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「だいたいわかったから俺にもやらせてくれ
「お前もやるのか



(カチッカチッ
「キミは本当にWeb漫画が好きだねえ
「うん・・・えっ、何で?
 何で帳簿をひらいてやってくるの?

「見てごらん?
 ボクは法人化した新都社だよ
「うん
「ボクは新都社からプロへ転向した作家たちの
 税金対策として登記されたんだ
「そういうのは出版社がやるだろ
「売れすぎるのも考え物なんだね!

「キミの漫画を書籍化しようね
「やめてくれ!
 売れないのを前提で製本するな!!


(観客、まばらな拍手)


「こんなネタ文化祭でやるなよ
「やっぱりうけねえな

【EOF】
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